犯罪者と断罪者の恋 | [書評]朗読者
初恋の痛手が大きすぎた
ざっくり言うと、『初恋の痛手が大きすぎた』という話である。
初恋は破れるものときまっているが、それにしたって破れ方というものがある。これでもかと畳みこむように主人公ミヒャエルを追いかけてくる出来事を見ていると、気の毒に思うと同時に、逃げようのない運命っていうのはあるんだな、とも思えてくる。
主人公ミヒャエルは頭脳明晰なことをのぞけば、ごく普通の大人しい少年である。だが、初めて恋した相手がとんでもなかった。母親ほど年が離れていて、それから……なんというか、もうこれ以上ないほど初恋に不適切な人選だったのである。しかし、恋が選ぶものではなく落ちるものである以上、もう仕方がない。
第二次大戦後のドイツが舞台である。一少年の初恋に絡みつく歴史的背景がこの物語を実に非凡なものにしている。その非凡な体験をそのへんにいる普通の人の目から覗くからこそおもしろいのだ。
もし恋人が犯罪者だったなら
偶然初恋の相手が裁かれている法廷に居合わせてしまったら、どうするだろうか?
立ち去るだろうか。
最後まで見届けるだろうか。
それとも、何も感じないだろうか。
主人公の初恋の相手であるハンナは、ナチス親衛隊だった。ナチスの戦争犯罪を断罪するゼミに参加していた主人公は、偶然その法廷を見学することになってしまう。かつての恋人が親世代の罪を一身に負い、裁かれているのだ。彼女の罪は明白で、皆が彼女を裁きたてる。しかし、主人公には彼女を裁くことができない。
この物語では、ギリシャ悲劇『オイディプス王』が1つのキーワードになっている。オイディプス王といえば父王を殺し、母とは知らずに母と姦通した主人公が、その後、罪を知って自ら盲目になるという筋だ。
父親たちの世代を裁くという『父親殺し』を行いながら、しかも母のような歳で、歴史的な罪を背負った女性と姦通する。オイディプス王の運命と主人公の運命は見事に重なって見える。
有罪になり収監された彼女に主人公は本を朗読・録音したテープを送る。このときの朗読テープの1作目は『オイディプス王』だ。なんとも象徴的ではないだろうか。
あなただったら何をしましたか?
厳格なまでに事実に正確であろうとし、空気を読まないハンナの不器用さが仇になり、裁判は不利に進む。
「囚人たちを死なせることになるとはわからなかったのですか?」
「いいえ、わかっていましたが、新しい囚人が送られてきましたし、古い囚人は新しい人たちのために場所を空けなければならなかったのです」
「ではあなたは、場所を作るために、『あんたとあんたとあんたは送り返されて死ぬのよ』と言ったわけですか?」
ハンナには、裁判長がその質問で何を訊こうとしているのか、理解できなかった。
「わたしは……わたしが言いたいのは……あなただったら何をしましたか?」
歴史的な資料を読んでいると、自然と神の視点にいる自分に気づく。この時代の過ちはひどかった、この時彼はこうすべきだった、等々。しかし、その時市井にいた人々からその時代がどう見えていたのかだけは、資料ではうまく掴むことができない。もし自分がその場にいたら、後世の人々が『こうすべきだった』と考えるような行動がとれただろうか。
この物語は人を裁くことの難しさをよく教えてくれる。