不朽の名作 | [書評]アルジャーノンに花束を
「ぼくわかしこくなりたい」
幾度かドラマ化もされた、不朽の名作です。映像作品は観たけれど、原作は未読という方にはぜひ読んでもらいたい。
知的障害を持つチャーリイ・ゴードンは知能を向上させる手術を受け、知能が飛躍的に増大し、そのことにより今まで自分が受けていた扱いに憤りを覚えるようになります。パン屋の同僚たちが、以前に自分が思っていたよりも賢くはなかったことに失望し、やがてチャーリイは、自分を手術した大学教授の知能さえも越えてしまい、そのことにも失望、さらにそこから続く絶望さえ見つけてしまいます。
ぼくわかしこくなりたい。ぼくの名まえわチャーリイゴードンでドナーぱん店ではたらいててドナーさんわ一周かんに11どるくれてほしければぱんやけえきもくれる。ぼくの年わ三十二さいでらい月にたんじょお日がくる。
「経過報告書」は最初は非常に読みにくく、平仮名と誤字が入り混じっています。少しずつ変化していくあたりは、訳者の仮名遣いも絶妙といえましょう。
ときどきだれかがおいみろよフランクとかジョウとかギンピイとかいう。あいつはまったくチャーリイゴードンそこのけやったぜ。なんでそんなことをいうのかわからないけれどもみんながいつもわらうのでぼくもわらう。けさはギンピイがこのしとはぱん焼きの親かたで足が悪いのでびっこをひいているけれどもこのしとはよくぼくの名まえをもちだすのだけれどもアーニイがばすでーけーきをなくしてきちゃったときにどなった。おいおいアーニイてめえはチャーリイゴードンになろうってのか。なんでギンピイがあんなことをいうのかぼくにはわからない。ぼくはにもつをなくしたことなんかないのです。
こんな経過報告書が、手術の結果が現れてくると進化してきます。句読点を覚え、単語の扱いを覚え、文章が整ってきます。
四月八日──ぼくはなんというアホだろう! 彼女のいっていることを理解しようとすらしなかったのだから。昨夜文法書を読んだら全部説明してあった。そのときキニアン先生はこれと同じように僕に教えようとしていたのだと気づいたが、あのときはわからなかった。真夜中に起きたらすべてがはっきりと理解できた。
キニアン先生がいうには、眠る直前や眠っているあいだのテレビの学習が手助けしてくれるのだそうだ。ぼくは高原に達したのだと彼女はいった。丘の平らな頂きのようなものだそうだ。
句読点の働きをよくのみこんでから、前の報告をはじめから読み返してみた。やれやれ、なんというめちゃくちゃな文章を書いているのだろう!
急激な上昇
急激に知能が上昇したチャーリイにはいろいろなことが理不尽に感じられます。パン屋の同僚が小さな不正を働いているのを見つけ、それが我慢ならない。ある分野の権威といわれている大学教授がそれ以外の分野のことをあまり知らないことが我慢ならない。子どものままでいたチャーリイが急激に大人以上の知能を身につけ、けれど精神性がまだ子どもに近いものであるがためにいろいろなことが納得できない時期なのでしょう。
私はストラウスをなんとか脇に連れだし彼に質問した。「ここならいいでしょう。ぼくが教授に対して神経過敏だとおっしゃいましたがね。教授があんなに狼狽するようなこと、ぼくが何か言いましたか?」
「きみは彼に劣等感を感じさせる、彼にはそれががまんならんのだ」
「ぼく、真剣なんです、ほんとうに。どうか真実を教えてください」
「チャーリイ、きみはもう、みんなが自分を笑っていると考えるのはやめにゃあいかんよ。ニーマーがあの論文について論じあえなかったのは、彼がまだあれを読んでいないからだ。彼にはあの言語が読めないんだよ」
「ヒンズー語も日本語も読めない? そんな、まさか」
「チャーリイ、きみのような語学的才能をだれもがそなえているわけじゃないんだ」
チャーリイは、ごく一般的な知能の「高原」を越え、さらなる頂へと登っていきます。
頂からさらに一歩
チャーリイの友達にアルジャーノンがいます。チャーリイよりも先に手術を受けて実験台になった真っ白なネズミです。アルジャーノンを観察していたチャーリイは、アルジャーノンに退行の兆候を見つけてしまいます。
どうしてもわからないのは彼の退行の理由である──これは特殊なケースなのだろうか? 単発的な反応か? あるいは実験に根本的な欠陥があるのだろうか? その法則を見つけなければならない。
もし私がそれを発見し、そしてもしそれが、精神遅滞についてすでに発見されている事実や、私のような人々を救う可能性に、たとえひとにぎりのデータにしろ、つけくわえることになるならば、私は満足するだろう。私に何が起ころうとも、まだ生まれてこない仲間たちに、何かを与えたことによって、私は正常人千人分の一生を送ったことになるだろう。
それで十分だ。
チャーリイ・ゴードンのこの先は、読者自身の目で確かめてください。
彼は不幸だったでしょうか。知的障害を持った、子どものようなチャーリイはパン屋での雑用が精一杯で、それも時には同僚に馬鹿にされ、利用されながらの暮らしでした。でもチャーリイにとって同僚は友人であり、パン屋の店主は恩人でした。
かしこくなりたい、ただその望みによって、手術が施され、爆発的に知能が増大したことで友人をなくし、新たな恩人すら格下に見えるようになります。かしこくなったチャーリイには、それまで見えていなかったものがどんどんと見えてきてしまいます。それまでの自分がまともな人間として扱われてこなかったことまで。
その時でさえ、彼は不幸だったでしょうか。もちろん、知能が増大しなければ、知らずに済んだことかもしれません。それでも、チャーリイがその時に経験したことは無駄ではなかったと思うのです。手術とその結果のせいで、チャーリイが失ったものも多いけれど、得たものも確かにあるのです。
SFとして描かれた作品です。けれど、幸福とは何か、愛情とは何かを問われる作品でもあります。