東京オリンピック開催の可否を賭けた爆破予告事件 | [書評]オリンピックの身代金(上)
1964年の東京オリンピック
敗戦後の空気を東京オリンピックで払拭しようと躍進する東京を描いた物語です。近代都市に生まれ変わろうとする東京の活気、時代の先に進んでいこうとする若者達の勢い、そんなものが奥田氏らしいテンポの良さで描かれます。
ただ、その東京の活気も地方の犠牲によって成り立つものではないのか、東京は地方を搾取しているだけではないのか、と問いかける若者が一人。貧しい農村地帯に生まれながら、運と学力に恵まれて東京大学に通う主人公が、オリンピックに沸き立つ華やかな東京と、今も貧しい故郷の人々とを見比べて後ろめたさを感じます。
主人公の兄は、オリンピック施設の労働現場に出稼ぎに来ていましたが、その兄が突然の心不全で亡くなってしまいます。
「お兄さんは、前から心臓さ弱かっただか?」
「いえ、そういうことはないと思います」
「そう。でも、こういう仕事さしてるうちに、だんだん体が弱ってくるってこともあるだろうし、ここのところ“通し”をよくしでだから、無理が祟ったのかねえ……」
「通し?」
「ああ、“通し”っていうのは、二つの番を続けて働ぐことでな。ここのところ、オリンピックに間に合わせるため、ずっと三交代制だったがら、一番八時間でそれを二番、つまり続けて十六時間を働ぐこどだっぺ」
「十六時間労働、ですか?」
国男が言葉を呑み込むと、山田はあわてて「言っとくけんど、強制じゃねえがらね。金さ稼ぎたい人夫がケッパッてやるべえさ」と弁明した。
主人公の生まれ育った場所は秋田の農村地帯で、しかも貧しい時代です。女は労働力として嫁ぎ、農作業と家事と育児に追われ、東京の食べ物など口にしたことがありません。が、男もさほど事情は変わりません。畑があるものはひたすら農作業をして家族全員を養い、畑が小さければ女子供に後を任せて肉体労働の出稼ぎに行きます。そして稼ぎのほとんどを実家に送るのです。なかには別の女に逃げる者や、ヒロポンに逃げる者もいます。
そんな出稼ぎ労働者がいなければ、当時の東京オリンピック開催は難しかったのです。
「憧れの」東京
ストーリーそのものは、東京オリンピック開催の可否を賭けた、爆破予告事件です。犯人側と刑事たちが追いつ追われつ……といった内容がメインになっています。ただ、胸に迫るのは犯人側の事情です。
作中、出稼ぎ先で亡くなった夫の遺骨を引き取りにきた未亡人が、東京に来て浮き足立ち、東京タワーにのぼってみたい、ソフトクリームを食べてみたいと主人公にねだります。「薄情な女だろう」と泣き出す未亡人に、主人公は「いいえ」と応えます。未亡人は旅行などしたことがなかったし、ソフトクリームを食べたこともなかったのです。
戦後の復興に沸き立つ日本の、あからさまな光と影。その「影」の部分が、淡々と、けれど丁寧に描かれます。同じようにオリンピック開催を迎えようとしている今だからこそ、興味深く読める物語ではないでしょうか。