おっぱいが好きであることは、そんなに変な事だろうか? | [書評]ペンギン・ハイウェイ
主人公は小学四年生
賢く、努力家の小学四年生の男の子が主人公です。父の助言により、毎日たくさんノートを書くことを自分に課したアオヤマ君。ある日、アオヤマ君の住む街に事件が起こります。
風が吹き渡ると、朝露にぬれた草がきらきら光った。キウキウキシキシと学校の床を鳴らすような音が聞こえてきた。広々とした空き地のまんなかにペンギンがたくさんいて、よちよちと歩きまわっている。
なぜぼくらの街に、ペンギンがいるのか分からない。
子どもたちはだれ一人、身動きしない。
ぼくはしっかりと観察するために、そばに行くことにした。それが本当にまじりっけなしのペンギンなのかどうか、あるいは遺伝子に突然変異を起こしてずんぐりむっくりしたカラスなのか、それを研究する必要があったのだ。ほかの子どもたちは見ているだけ。僕が草を踏みしめる音と、ペンギンらしいものたちが立てるヘンテコな音が聞こえるばかりだ。
登校途中、空き地にペンギンが出現するのです。その日から、アオヤマ君はペンギンの研究をはじめます。なぜペンギンたちが住宅地に現れたのか、どこからやってきたのか。もちろん、このペンギンの謎はアオヤマ君だけじゃなく、読者をも引きつけます。けれど、ペンギンの謎よりももっと引きつけられるのが、アオヤマ君の言動です。
学校からの帰り、ぼくは歯科医院によった。
ぼくが歯科医院に通う理由は、ぼくの脳がたいへんよく働くからである。
ぼくの脳はエネルギーをたくさん使う。脳のエネルギー源は糖分だ。そういうわけで、甘いお菓子をついつい食べ過ぎてしまう。それなら寝る前にきちんと歯をみがけばよいのだけれど、なにしろ脳をよく働かすから、夜になると歯ブラシも持てないぐらい眠くなって、歯をみがいているひまがないのである。
歯磨きをしない言い訳の論理が非常に子どもらしくない。けれど、その論理が説明していること自体はとても子どもらしい。そんなアンバランスさがアオヤマ君という主人公の魅力です。
アオヤマ君はおっぱいが好き
アオヤマ君が好きな人は歯科医院のお姉さんです。「海辺のカフェ」でお姉さんにチェスを教わる時間をアオヤマ君はとても大切にしています。
その日のお姉さんは空豆色のうすいセーターを着ていた。ぼくは盤から目を上げ、お姉さんのおっぱいを見ながら、まるで丘のように盛り上がっているなあと考えた。
「こら少年。チェス盤を見ろチェス盤を」
「見てます」
「見てないだろう」
「見てます」
「私のおっぱいばかり見てるじゃないか」
「見てません」
「見てるのか、見てないのか」
「見てるし、見てません」
「将来が思いやられる子だよ、ホント」
面白くて楽しくて、少し切ない
アオヤマ君の研究はウチダ君とハマモトさんという仲間を得、お姉さんの不眠というファクターを得、「ジャバウォックの森」で不思議なものを見つけ、着々と進んでいきます。
彼らの冒険と探求はまるで「ズッコケ三人組」のようでもあり、ノスタルジーを存分に刺激してくれます。その一方で、ペンギンの謎や、森の中で見つけたものの謎はSF的な興味をあおり、そしてアオヤマ君とお姉さんの関係に微笑ましいものを感じます。いくつもの感情がかきたてられ、それが絶妙にブレンドされていく、不思議な小説といえるでしょう。
ぼくとウチダ君は学校から帰る途中で「おっぱいケーキ」を買うことにした。
「寄り道をするのはあまりよくない」とウチダ君は言った。ちょっと不機嫌だった。
「でもおっぱいケーキはたいへんおいしいよ。ウチダ君も一度食べてみるべき」
「本当にそんな名前なの?」
「ぼくがつけた名前だ。だからお店で注文するときは、おっぱいケーキくださいって言わないように注意してほしい。お店の人に分からないからね」
「アオヤマ君はかしこいのに、そんなことばかり言うからへんだね」
「おっぱいが好きであることはそんなにへんなことだろうか?」
「へんではない……でもへんだなあ」
おっぱいについて、ここまで悪びれもせずに言い切られると、これはこれで許されるような気がしてくるのも不思議です。