未だに超えられる作品がない、逸品の東野圭吾作品 | [書評]白夜行
真っ暗な夜の海の底に落ちていくような感覚
後味の悪い小説である。何一つ救いがない。なのに本をめくる手を止められないのはなぜだろう。
何度もドラマ化や映画化をされたこの作品ではあるが、やはり映像ではこの感覚は表現しきれない。どんなに作りこんだとしても、そこには「救い」があるからだ。例えば、主人公は顔なじみの女優さんであり、子役にはどこか明るさがあるし、映像化できないシーンはあいまいに表現されている。
そこに気づくたびに視聴者は「これは作りものであり、現実ではない」と気づくことができて、物語の真の闇に引きずりこまれずにすむのだ。しかし、小説はそれを許してくれない。想像力が、果てしない闇へと読み手を引きずり込む。そしてそれを誘導する緻密な構成とストーリーがまた見事なのである。
巨大でおぞましいジグソーパズルのもどかしさ
読み手はまるで巨大なジグソーパズルを組み立てるように、ひとつひとつ真実を知らされていく。なのに肝心の場所のピースだけがどうしても埋まらない。おぼろげながら、その形はわかるのだが、ピースが見つからないのだ。もっとも肝心な場所だというのに。
そんなもどかしい思いとともに読み進めていくうちに、パズルの全体像が、そのおぞましい姿を現す。肝心の場所のピースはまだみつからない。美しく聡明であるが実は身も凍るような残虐性を秘めたそのピースの正体こそ、主人公「雪穂」なのである。
主人公の真の姿が一瞬垣間見えたシーン
そんな埋まらないピースが一瞬埋まりかけたかと思える場面が、私の記憶では二度ほどある。その一つがこの雪穂のセリフである。
「まだ本当に子供。でも子供だからといって、悪魔に襲われないとはかぎらないのよね。しかも悪魔は一匹じゃなかった。」
ほんの一瞬の真の心の声なのであろう。しかし、彼女がこの言葉を投げかけた相手もまた彼女の犠牲者なのだ。そのことを知って読み手はまた、彼女の恐ろしさに身震いするのである。
そして、もう一つがラストシーン。このシーンでの彼女に対する描写はあまり克明には記されていない。あえてそうしたのかもしれない。それがまた読み手の想像をかきたてる。
映画やドラマを見た人にもぜひ、小説を読んでほしい作品である。本を読み終えて閉じた瞬間、現実の世界の温かさや優しさに気づいて、ほっとするような感覚すら味わえるかもしれない。