DIE WITH ZERO: 「老後のために貯め込む」神話を疑う

「いつか」の安心を求めて口座残高ばかり膨らませ、気づけば若い体力も好奇心も緩やかに失われている――そんな生き方は本当に合理的なのか。

米国のヘッジファンドマネジャー、ビル・パーキンスは著書『Die With Zero(日本語版:DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール)』で、貯蓄偏重の常識を根本からひっくり返す。

彼は「銀行口座を墓場に持ち込んでも人生経験は増えない」と語り、死ぬ瞬間に資産残高をゼロ近くまで減らすことこそ最大効率の生き方だと主張する。

本書の主張──ゼロで逝くという逆転のライフデザイン

パーキンスの提案はシンプルだ。まず寿命と健康曲線を前提に、残りのエネルギーを「記憶に残る体験」に振り向ける。

体験は時間と共に価値が減るどころか「記憶の配当」を生み出し、思い出を反芻するたびに幸福感が複利で増える。

したがって、稼ぐ行為それ自体ではなく体験の総量と質を最適化することが合理的だというわけだ。この考え方はエンジニア出身の彼らしく、「制約のある最適化問題」として提示される。

なぜ今すぐ経験に投資すべきか

本書が繰り返すキーワードは「時間割引率」だ。

二十代の南米バックパック旅行と八十代のそれでは体験価値が桁違いに異なる。若いうちに得た思い出は何十年にもわたって自分と周囲を楽しませ続けるため、同じ十万円でも若い時期に使った方がリターンが大きい。

こうした「体験価値は早く消費するほど高利回り」という視点は、長年の金融リターン思考を逆用した説得力を持つ。

九つのルールで可視化する「生涯満足度の最適化」

パーキンスは理念を実行するために九つのルールを用意した。体験に先行投資し、人生を五〜十年刻みのタイムバケットで設計し、ピーク資産を迎えたら計画的に取り崩す──という流れだ。

さらに子どもや慈善への資金は本人が健在なうちに渡す方が効用が大きいと説く。

モーニングスターはこの九則を詳細に紹介し、貯蓄偏重のライフサイクル仮説を現代的にアップデートする試みだと評価している。

反対意見との対話──長生きリスクと家族の安心を両立させる

もちろん「長生きして資金が尽きたらどうするのか」という懸念は根強い。パーキンスは寿命統計と年金・年金型保険を組み合わせたシミュレーションで備えるよう勧める。

実際、早期リタイアを果たしたエンジニアの体験談でも「Die With Zero」が金銭と健康エネルギーの最適配分を考える上で指針になったと報告されている。

彼は体験へ資金を振り向けつつ、現金流確保のために不動産収入とインデックス投資を組み合わせ、余剰は家族に生前贈与する戦略を取った。

実践ガイド──時間と資産を重ねた三段階のステージ戦略

本書のエッセンスを生活に落とし込むには、第一に「経験の仕込み期」を二十〜三十五歳に設定し、時間と体力を要する挑戦を詰め込む。

第二に「資産の収穫期」を三十五〜五十歳とし、キャリアの稼ぎ頭で体験の資金を蓄えつつ、同年代の友人や家族と共有できる旅や学びに重点配分する。

最後に「取り崩しと伝承期」を五十歳以降に置き、健康と嗜好に合わせて資金を巡らせながら、子どもや社会にリソースを先回りで手渡す。

この三段階は決して固定ではなく、健康状態や市場変動に応じて毎年リバランスしていく。

終章──余白ではなく記憶を遺す

老後の安全網を作ることと、人生を味わい切ることはトレードオフではない。むしろ「ゼロで逝く」視点を持つことで、貯蓄が目的から手段へと正しく位置づけ直される。

銀行残高が無意味に残っていく不安よりも、使い切れなかった体験機会が消えていく後悔の方が深いかもしれない。パーキンスの問いは結局、「あなたの最期の通帳に残っているのは数値か、それとも語り尽くせない記憶か」という一点に集約される。

今日の一歩が、未来のあなたへ最大のメモリー・ディビデンドを支払うことを忘れずに、口座と同時にカレンダーも動かしていこう。

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