日本人が克服できない類の怖さ | [書評]残穢
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とにかく怖いです。なるべく、人の居るところで読むのをお勧めしますが、怖さを思いきり堪能したいという方は、もちろん真夜中に一人きりで読んでください。無人の和室を背にするとより怖いかもしれません。
ホラー小説にはいくつかの類型がありますが、この作品は、じわりじわりと怖ろしさが侵食してくるタイプの小説です。サスペンスのように追い立てられるのでもなく、「出来事」が起こった時に登場人物が恐慌に陥るでもなく、ただ「ちょっと気味が悪い」を積み重ね、いつのまにか読者の背に鳥肌を立たせていくタイプです。
家のいろんな場所が怖くなる
久保さんは例によって家で仕事をしていた。深夜になって、背後でまたいつもの音がした。「またか」と思いつつ、ことさら振り返らずに仕事をしている。
すると、背後では右に左に畳を擦る音が続く。コンピュータの画面に何かが映り込んでいないか注視してみたが、寝室は真っ暗で様子が窺えない。さっと右に擦る音がして、少しの間、途絶える。今度は左に擦る音がして、それが途絶える。
規則的にそれが繰り返される。ひとしきりそれを聞いて、いきなり振り返ってみた。振り返ると同時に音はやんだが、その直前、寝室の床を何かが這うのを彼女は見た。
これでまず和室が怖くなります。
背後に何か、冷え冷えとした塊が生じたようだった。
すぐ後ろに、何かいる。
鈴木さんはそちらを振り返ることができず、手元に意識を集中しようとした。こういうときは、何も気づかなかったふりをするに限る。変に振り向いたり、狼狽してはいけない。無視するのがいちばんだと、鈴木さんは考えている。
背後を意識しながら、ことさら何でもないふうを装って洗い物を続けた。ふと、視線が蛇口に止まった。銀色に研かれた長く平たい蛇口の表面に、洗い物をする鈴木さんの顔が映り込んでいた。そして、その背後に別の何者かの顔が。
そして、台所や洗面所も怖くなります。
逃げ場が許されない怖さ
ホラー小説の中で起こる怪異現象は、例えば亡くなった誰かの恨みを買ってしまった、もしくはそういう悪縁のある場所に入り込んでしまったことから始まるものが多いかと思います。だから読者はある意味、安心してホラー小説を読むのかもしれません。自分には関係ないから、ここは曰く付きの場所ではないから……。
けれど、この小説は、そういった安全地帯を許してはくれません。可能性はどこにだってあります。たとえば明日、交通事故に遭ってしまうかもしれないという程度には。
「絶対ない」とは言い切れないなと感じた時、ふとその背後にある恐怖に気づきます。
論理的な文章と合理性のある解釈から誘導される、自分の想像力が怖い──そんな作品です。
空気が生暖かく、虫の声も聞こえない、そんな夜にどうぞ。