「不自由なく生きる」ことに対する罪悪感 | [書評]サイレンと犀

サイレンと犀
著者: 岡野 大嗣
ISBN:4863851669 / 発売日:2014-12-15
出版社.: 書肆侃侃房

短歌を知らない人にも届く言葉

もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい

「短歌って知ってる?」と聞くと、「五七五だっけ?」「季語が要るんだっけ?」と聞かれることがある。

正しくは、短歌は「五七五七七」の三十一文字で、季語も不要だ。短歌は教科書で少し学ぶだけだから、うろ覚えだったり、ひとつの短歌を授業で何コマか割いて解説するから、難しいイメージがあるかもしれない。

しかし、先ほど引用した「もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい」この文章は短歌だ。

「もういやだ/死にたい そして/ほとぼりが/冷めたあたりで/生き返りたい」というふうに区切ると、ぴったり五七五七七になる。

この本を読む上で、短歌についての基礎知識はそのくらいで問題ない。「短歌なんて全然興味ない。」そんな人にも届く歌集が、この『サイレンと犀』だからだ。教科書のように、時間をかけて読み込む必のも楽しいが、もし短歌に難しいイメージを抱いているなら、一旦そのイメージを捨てて読んでほしい。

わからない歌は飛ばして、好きだと思った短歌についてゆっくり考えてみてもいいかもしれない。

生死に対する強い感受性

この歌集に共感できる人はとことん共感すると思うし、できない人ももちろんいるだろう。私はこの歌集は、現代日本の恵まれた状況で作られた歌が多いという印象を受けた。

いくつか、印象的な歌を引いてみる。

本棚のむこうでアンネ・フランクが焦がれたような今日の青空

ひとりでも生きていけるという旨のツイートをしてリプを待つ顔

生年と没年結ぶハイフンは短い誰のものも等しく

実行犯が億人組でそのうちのひとりが僕である可能性

アラビア語実用会話例に「このライフル銃はあなたのですか?」

生き延びるために聴いてる音楽が自分で死んだ人のばかりだ

グレゴール・ザムザは虫になれたのに僕には同じ朝ばかり来る

生死に関する歌が多い。しかし、自分が今すぐ死ぬような緊急事態にいる感じではない。それでも、息苦しさは確かにある。「グレゴール・ザムザは虫になれたのに僕には同じ朝ばかり来る」という歌などは、それが顕著に表れているように見える。

グレゴール・ザムザはカフカの『変身』の主人公で、起きたら突然、虫になっていて、家族からひどい扱いを受ける。これを読んでザムザになりたい人と思う人は普通いないと思うが、この「僕」は虫になる以上に「同じ朝ばかり来る」ことを嘆いていて、自分でなくなれるなら、虫になるほうがマシ(自分は虫以下)と思っているような印象を受ける。

しかし、「本棚のむこうでアンネ・フランクが焦がれたような今日の青空」や「アラビア語実用会話例に『このライフル銃はあなたのですか?』」のような歌では、過去、または別の国では、もっと切羽詰まって「生」を望んでいる人がいることも知っている。

本書にはインターネットやSNSの単語も多い。インターネットの普及により、私たちは以前よりも、日本以外、現在以外について知る機会が増えた。そして、アンネ・フランクやアラビアで銃を持つ少年のことを知っている私たちが、「同じ朝ばかり来る」くらいで、「死にたい」なんて思ってはいけない。そんな感じを受けた。

それでも、物資的に恵まれていても、「死にたい」日はある。本気の「死にたい」ではなく、「もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい」というように、現状から一旦逃げたいという感じだ。そんな時にこれを読んで、肯定されるような気分になった。

そして、この本は絶望だけを書いているのではない。

脳みそがあってよかった電源がなくても好きな曲を鳴らせる

些細なことで悩む私たちだが、些細なことで喜ぶこともできる。弱くて美しい人間の希望と絶望、それが詰まった一冊だ。

短歌を知らなくても、一度手にとってみてほしい。

サイレンと犀
著者: 岡野 大嗣
ISBN:4863851669 / 発売日:2014-12-15
出版社.: 書肆侃侃房

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