多くの人にとって、罪悪感とは自分のために何かを選択したことを示す「徴」である。断ることが罪悪感を、承諾することが結果として… | 本で出逢った感動の名言


本で出逢った名言・名セリフ

多くの人にとって、罪悪感とは自分のために何かを選択したことを示す「徴」である。断ることが罪悪感を、承諾することが結果として恨みをもたらすのなら、罪悪感を選ぶべきである。恨みは精神的な自殺なのだ。

身体がノーと言うとき―抑圧された感情の代価 より

そのセリフに感銘を受けた理由

今までは他人のことばかり考えて、自分のことは後回しにした生き方をしていました。本当はやりたくないことを断れず、「ノー」と言えないまま生きてきました。人から頼まれたことを断ることに罪悪感を感じてしまっていたのです。断ることができない自分にもいらだっていました。さらに、頼んできた相手に対して一種の恨みのような感情をもってしまっていました。

しかしこの言葉に出会ってから、断ることで生じる罪悪感は悪いことではなく、自分が自分のために何かを選択した「徴」であるから、自分の感じている罪悪感を肯定的にとらえられるようになりました。断ることによって私が感じている罪悪感は、自分のために行動した証なんだ!と思えるようになりました。

自分のために行動したことで罪悪感を感じるのと、断れない代わりに相手に恨みをもつくらいなら、これからの生き方は罪悪感を選ぼうと思います。

回答者:10代 女性


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