「じゃない方」の芥川賞作家、17歳のデビュー作 | [書評]黒冷水

黒冷水
著者: 羽田 圭介
ISBN:430940765X / 発売日:2005-11
出版社.: 河出書房新社

粘着質な兄弟

兄弟同士、お互いの机や本棚をこっそり確認することなんて、そんなに異常なことでもないだろう……と軽い気持ちで読み始めると、その執拗さに少々ぞくりとします。

「プロの“あさり屋”」と自称する中学生の弟が、高校生の兄の机の引き出しを開け、ぴっちりと糊付けしてある封筒まで開け(しかもそれをきちんと元に戻し)、CD-ROMをコピーして、部屋で見つけた謎の文字列をメモまでします。

理論立ててはいるけれど、どことなく歪んでいて感情的な弟の行動は、なるほど中学生にありがちなことかなと納得もしつつ、その一方で、部屋あさりの件を指摘されても告発されても逆ギレしてみせるその姿には、それはさすがに歪みすぎではないかと危惧を抱いてしまいます。

でもここで重要なのは、作者が当時17歳だった事。

全て計算の上で書いているのか、それとも何かしら偏った見方に陥りがちなのか……多少なりと読書に慣れた読者ならここで作者を疑うでしょう。

例えばミステリにおいて探偵役が犯人であることを警戒するように。
例えばサスペンスにおいて死んだと思わせておいて実は生きているように。

とかく読者は作者に騙されがちです。

執拗に兄の部屋をあさる弟と、弟の不出来具合をなじる兄と、客観的に見れば、兄のほうに分があるように思えますが、それすらも作者の罠なんじゃないかと……もう、作者の術中に嵌ってしまっているのかもしれませんね。

兄のターンと母の裏切り

 修作は喜びの声をあげそうになった。

「ミーナちゃん」だ!
やっと新しいのが追加されたのだ。

修作は、この「ミーナちゃん」がたまらなく好きだった。

大きな瞳、黄色く染められた髪、スレンダーで浅黒い体、豊満な胸……。なによりもその甘えた声と、相手の男への忠誠心、純な雰囲気がたまらなく好きだった。
こういうタイプの動画、画像に、兄は全く興味を示さない。だから、修作が自分で手に入れなければならない。兄から頂戴するわけにはいかないのだ。「ダウンロード」ボタンを、修作はクリックした。

そして兄が反撃に出ます。家族で共用している携帯電話で弟が18禁のアニメ画像をダウンロードしたことを親に子細に説明し、その画像も見せつけるというえげつなさ(けれどこれは、共用の電話でそれを敢行した弟の愚かなる勇気にも着目したいところ)。

そしてそれを皮切りに、兄の猛反撃が始まります。各種の罠や、防犯カメラまで用意する徹底ぶり。弟の尊厳をこれでもかと踏みにじる行為に、兄弟間抗争の行く末よりも、これを読んでいる大人としての視点からは「もしも自分たちの身内がこんな風に争っていたら嫌だろうなぁ」という気持ちのほうが高まります。

正気は母が息を呑んだのがわかった。

「じゃああんた、なんなのよ、机の引出しの中に入ってた煙草は!」

一息で言った母の口元を、正気は唖然として見つめた。そしてようやく事情を理解した正気の表情が歪む。

「母さん、あんたまであさってたのか……」

正気は落胆した。なんなのだ、この家族は。母が何か言いかけたのを正気は手で制した。

まさかの母。

弟と母の言動にたまりかねて兄が家を出た後は、これまでの粘着質な兄弟間抗争をひっくり返そうとでもいうような怒濤の展開です。

ギリギリのラインから更に一歩

繰り返しますが、作者がこれを書いた時、まだ17歳でした。その年齢が未成熟であると断ずるつもりはないけれど、それでも一般的に考えればまだ経験値が足りていない年齢です。

けれど、文章だけを見れば、これはもう年齢詐称を疑われても仕方がないかもしれません(もちろん本当に17歳だったはずですが)。

青臭さよりも子供っぽさを感じさせ、そこに適度よりもやや過剰な歪みをのせることでこちらの不安感を煽り、そこから不快感を導き出してゆく手腕。そして「これ以上描写されたら不快だな」と思う、そのギリギリのラインを更に一歩踏み込んでくる感覚。

作中で主人公である兄が感じる「黒冷水」。内臓を冷やす黒い液体のじわりとした感覚が、この作品を読んだことにより、こちら側にまで伝わってきそうです。

作者の年齢的に、隅々まで計算し尽くされた……というわけではないでしょう。けれど、おそらく天性のバランス感覚が、決して行き届いてはいなかった計算をフォローしています。

ラストを読むと、それが現代の若者的感覚なのか、いやいや、存外これは文学的なのかもしれないぞと、あれこれ考えてしまいます。

生々しさと痛々しさを存分に味わえる作品なのではないでしょうか。

黒冷水
著者: 羽田 圭介
ISBN:430940765X / 発売日:2005-11
出版社.: 河出書房新社

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