コーヒーの鬼”標交紀”の物語 | [書評]コーヒーの鬼がゆく – 吉祥寺「もか」遺聞
変人が多いコーヒー業界
喫茶店のマスターや、自家焙煎の焙煎士は偏屈だったりとか、変わった人が多い。そんなイメージを植え付けられる導入です。その中でも一際変人である、標氏の逸話や記録の一部を除くことができます。コーヒーという嗜好品でここまで人は変になれる。そういったある種のあこがれというか、偉人のすごさを感じました。
残念ながら標氏はお亡くなりになっているそうですが、その遺聞として書かれた一冊の様で、筆者のこだわりというか愛を感じた一冊でした。
師匠・襟立との不思議な関係
襟立の焙煎した豆を枕元において寝る
標氏が関西で本物のコーヒーを探してたまたま入った自家焙煎喫茶店マスター襟立氏の実験的コーヒーが師匠・襟立氏との出会いだったそうです。標氏を自家焙煎の道に進むことになる決定的な出会いです。東京に住んでいる標氏がしょっちゅう大阪の襟立氏に会いに行くことから異様なこだわりだったと想像できます。
そのなかでも、師匠が焙煎した豆を枕元において愛でながら寝るという逸話はどれだけ師として仰いでいたかが分かります。そんな人生の師に出会えることの素晴らしさを感じました。
標氏という変人
標氏のエピソード一つ一つ読み解いていくと、どうも「コーヒーに憑りつかれた変人」という部分だけではなく、根がまじめで素直で優しい人物だということが分かってきます。お客さんの一言や、飲み残し一つで一喜一憂してしまう精神的に弱い部分も持ち合わせた人間らしさを存分に感じる、一人の人間として魅力的な人物だと理解できました。
晩年、喫茶を閉めて豆の販売だけに営業形態を変えてしまったようですが、それに対して惜しむ声が大きかったことも納得できます。店を閉めた後は、コーヒー行脚を観光し、モカの港で奥さんと大泣きしてしまったエピソードもありますが、常人では理解できない何かがあったんだと思います。その域に達するまでにはどれだけ一つに人生をささげなければいけないのか。自分に問われたような気がします。
人間これだけ何かに打ち込むことで人に惜しまれ人に好かれるってことが分かった素晴らしい一冊でした。