吉本隆明は悪人である | [書評]悪人正機
「家族」ってなんだ?規制フリーな談話
ご近所のおじさんが気が置けない相手に話すような内容は、テレビやメディアの上では滅多に聴けない。もしおじさんがテレビに出ることになったとしても、『配慮の結果』、それはきっとほとんどタテマエの話になってしまうことだろう。
思った事をそのまま話すのは、思った以上に難しい。それはおじさんの心の中にある規制のせいなのである。べつにおじさんに限ったことではない。誰だって、他の人が信じているかもしれない前提を崩しながら話すのは怖い。
だが、吉本隆明さんの話には規制がない。といって、ホンネや信念にこだわって過激な事ばかり言っているわけでもない。力まずに、自分の正確な位置を言い置く感じなのだ。これは、吉本隆明さんが良い質問を得て、気の置けない相手に話すように自由に話した本である。
『まずね、世の中には立派な、円満な家庭なんてものがあることになってますけどね。(中略)ある期間だけを見ればうまくいっているようでも、もう次の瞬間には全部がぶっ壊れそうな争いが起こるかもしれないし、永続的に円満な家庭なんてものはないんですよ。』
「家族」ってなんだ? と問われて、こんなことを簡単に言ってのけちゃうのだ。
目次を見ればわかる
質問の切り口もすばらしい。この本を手に取る機会があったら、目次を眺めてみてほしい。さっと目を走らせてみれば、この本を読みたいかそうでないかすぐにわかるだろう。
最初の1つを抜き書きしてみると、こんなふうだ。
・~「生きる」ってなんだ? ~ 「泥棒して食ったっていいんだぜ」と言われたことがある
・たどりついたのは、「死」は自分に属さないという考え方
・頭だけじゃダメ。手を使わなきゃ何もできない
・鈍刀のほうが、実はよく切れるんだぜ
・今の時代、「これがいい」という生き方なんてない
吉本隆明は悪人である
ところで、この本のタイトルである『悪人正機』は、浄土真宗の教義の中の考え方なのだそうだ。
たとえ他人に指差されるような事は1つもしていないとしても、心に罪を負っていない人はなく、全ての人は悪人なのだという。善人とは罪を犯していない人ではなく、己の罪に無自覚な人である。そして、阿弥陀仏が救済するのは善人ではなく、罪を自覚している悪人のほうなのだ。
おもしろいことに、本書の中には『悪人正機』について語ったところが1つもない。にもかかわらず、全編通して読んでいるうちにタイトルが身にしみてくる。
吉本さんはつまらないものはつまらないと言うが、自分を棚に上げて至らぬ人を責めることはしていないなあ、ということに気づいたのは、全部読み終えて表紙のタイトルを見た時であった。それはつまり、吉本さんが悪人であったからだろう。だれだって自分のしょうもなさに気づいていたら、人の事はなかなか言えないものである。