他者の「死」は自分を認識してくれる存在を喪うこと | [書評]死なないでいる理由
生きることと老いることの意味とは何なのか?
わたしが他者にとっての宛先でなくなったとき、ひとは、わたしとしての存在を喪います。本書は、鷲田さんのエッセイを通して、哲学的な問題提起により、現代における「いのち」について考えさせらる一冊になっています。
わたしたちは、自らの経験として「死」を実感することはできません。わたしたちにとって「死」は、他者の「死」という経験によってもたらされます。
また、わたしたちは自明のものとして存在しているのではなく、社者によって認識されることで存在しています。それゆえに、他者の「死」は自分を認識してくれる存在を喪うことにつながり、それが「死」に対する恐怖につながっているのです。
悩みを抱えて「死」について考えている読者は、この死生観によって「死」を客観視することができます。
筆者は家族の親密性の闇についても言及しています。
家族は競争社会からの避難所としての役割を担っていると同時に、無償労働を強いる、逃げられない関係、徹底した搾取関係としても成り立っています。
介護や看護を家族を行うというのは昔からの日本の慣習でしたが、人格的なつながりが美しく語られるのと同時に、閉じられた空間の中でケアする人とケアされる人という関係が搾取を生み出してしまうという家族の闇の問題は、高齢化が進む日本にとっては避けて通れません。
家族を大切にするという姿勢は素晴らしいものですが、プラスの側面には必ずマイナスが存在することを忘れてはいけません。
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